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2007/03/25

テクニカルディレクターの心意気 第1回


ここで伝えられるもの、ここでしか伝えられないものは何かということを模索してみたのですが、まずは自分自身のことを書いてみようと思い、「テクニカルディレクターの心意気」というお題で連載をしてみようと思います。

まずは、私の背景をちゃんと話しておかないと、バスキュールに入社して6年半の間に感じた「テクニカルディレクターの心意気」というものが、うまく伝わらないのではと思うので、第1回はそこを中心に書いてみようと思います。

インターネットに出会ったのは、大学院修士課程の初夏ころでした。大学では分子生物学を専攻し、DNAの塩基配列の解読に明け暮れていたころ、恩師である馬場忠教授(当時は講師)の執務室に10BASE-2のイーサネットの端末端子が引き込まれことがきっかけでした。海外の研究者と電子メールがしたいとのことで、彼の愛機IIciにイーサーネットボードが既に刺さり、メールが使える状態でした。そしてMACLIFEの1994年7月号を頼りにMosicをインストールし、はじめてWWW世界に引き込まれました。
その後はインターネットにのめりこみ、ほぼ毎日図書館の端末を使って、海外論文の検索や塩基配列DBの検索、そのほかの情報の検索などにwwwを利用していました。

その後、当時の社会状況もあり研究職をあきらめた私は、実家の父が経営している造園緑化樹の卸売り会社に勤務することになり、全国の産地や市場からの仕入れ、地元造園業者への販売を経験しながら、社会的なインターネットの盛り上がりを意識し、毎日悶々とした生活を続けつつ、会社の金でOCNエコノミーを契約し、自宅に専用線を引き、割り当てられたグローバルIPアドレスを使って、WEBサーバー、メールサーバー、DNSサーバー、ファイアーウォール用サーバーを古いPentiumマシンでDebian Linuxで構築し、そのときの仕事で何かネットサービスを構築できないかと模索を続けておりました。

そして現在は、面接で朴さんのなにかにピンときて、バスキュールというWEBプロダクションというかインタラクティブプロダクションに6年以上もお世話になっているわけです。

そんなこんなで、全く連続性をもっていない人生ですが、インターネットの始動から発展をみつつ、それに関わってきたことが唯一連続性を持っていることなんですね。
そんな私が、バスキュールに入ったときに選んだのがテクニカルディレクター。今は、どちらかというとプロデューサーですが、今もテクニカルディレクターの肩書きであります。

次回は、そんな駆け出しのテクニカルディレクターがどんな案件をどのように関わってきたのかを紹介したいと思います。

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続編楽しみにしていまーす。(o^ー')b

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